横浜のクリスマスイブを楽しんできました。若者で賑わいを見せていました。
いつの頃からか、この時期になると仏教徒もヒンズー教徒も、アラブ人もユダヤ人も、アメリカ人も中国人も、もちろん無神論者達も、こぞってクリスマスをお祝いするようになりました。そして、この日ばかりは、世界中の人々の心が優しくなって、お互いを許し合えるような気がします。だから私もこの日を利用して、この一年間のご無礼の数々と、わがままの数々を悔い改め、皆様のお許しを請い、同時にこの一年間大変お世話になりましたANW及びTNWの皆様に感謝の気持ちを込めて、今年最後の投稿をさせていただきます。これまで私自身がが旅して印象に残った各地のクリスマス・マーケットと夜景を撮影したものです。
今年お世話になった皆様と、心ならずも体調を崩され療養中の皆様に、心からの連帯の気持ちを込めてお贈りします。
何時もお出かけのHAさん今回は「国会から日比谷公園」を回って来られました。その時の写真をご覧ください。
日比谷公園は、江戸時代は松平肥前守の大名屋敷地、明治には陸軍練兵場で、今では寄せ集めグッズが多くあります。
国会議事堂は4代目の建物で石材が足りなくて2種類の石で造られているのは意外知られていない(鳳凰と龍の彫刻あり)
加藤清正が400年前に築城した熊本城は、西南戦争では無事だったが、先日の震度7の激震で石垣や建造物が被災したのはご承知の通りです。その後の復興状況や現況をお知らせします。
岡崎市の六所神社はマニアックな神社で、家康の産土神として崇敬を受け、社殿は家光によって1634年にから13年にわたって建設された。
多くの建物や絵馬が重要文化財に指定されているし、多くの出会いや安産、合格の祈願参拝者が多い。
特に、南朝の将、楠正成公が息子正行の父子別れは貴重。
松平家、徳川家の菩提樹で1475年に松平親忠(家康の5代前)が創建。
家康が桶狭間の戦いで今川義元が倒れたので、本寺に来て自害を覚悟しが
住職から「太平の世を目指す」教えを受け、この言葉がその後の天下統一に繋がったといわれているし、遺言で位牌は三河大樹寺に祀るべき」に従い、等身大の位牌(徳川将軍全員もある)があることで有名。また、ビスタラインと多宝塔があり、江戸の歴史に興味のある人は一度は訪れたいお寺。
世話役のHAさんが10日名古屋で歴史探訪され名古屋城・徳川園を見て来られました。「これで名古屋城の概略が判る」との名古屋城の写真を見て下さい。清州城だけでは大阪城秀頼に備えるためには弱いので、尾張藩の政庁として堅固とするために家康の命により1615年に築城した。本丸御殿殿は平成21年から復元工事が開始され平成30年6月に完成した。
日本を代表する書院造の建造物で優雅な外観とともに花鳥風月などを画材とした障壁画や飾金具で飾られています。
徳川園45,000㎡の中にある美術館内は撮影禁止なので、外の紅葉景色が中心の写真です。徳川御三家筆頭の尾張藩主2代目光友が自らの隠居所として1695年に造営したことを起源としている。
美術館は1935年に竣工し、家康の遺品など徳川家伝来の道具をはじめ、
国宝、重要文化財、重要美術品などを貯蔵している。
11月16・17日の二日間恒例の「山内地区センターまつり」が開催されました。この「まつり」に趣味の書道・五行詩を出展されたTNさん・TTさん・NOさん・NOさん(別の女性)の作品を撮ってきましたので、紹介します。
左側 TTさん・右側 TNさん 青墨で書かれたのだそうです。女性的な雰囲気を備えた青墨はひらがなに合うようです。
NOさんは2作品展示されていました。右側の作品は文字の生い立ちが書かれています。昔の文字は判読が難しい!!
頭文字が同じNOさんの五行詩です。
11月16日 絶好のウォーキング日和で全国から多くのウォーカーが参加してた「小田原ツーデーマーチ」に参加されたHAさんからの投稿です。
10月26日上野公園に行った時の「ハロウィン」の様子です。渋谷でのハロウィンのマナー違反が問題となっていますが、上野も盛上っていました。
10月24日丸の内~神田まで散策された写真を送られてきました。 丸の内付近は即位行事が終えたことで落ち着いた様子だったようです。震災(大正12年1923年)以前の建物、震災後の復興ビル等の写真もあります。御覧ください。
10月19日新橋から一ツ橋までの江戸城外堀の一部と日比谷公園でのフェアーの写真が送られてきました。 11月29日に実施予定の「江戸城外堀NW」は飯田橋から赤坂見附までを歩きます。ご期待下さい。
10月10日世話役HAさんが錦糸町から亀戸まで江東区の歴史散策された時の写真を送ってこられました。
10月8日 世話役AHさんからの投稿 群馬の名城
10月7日世話役HAさんが群馬の城を巡ってこられました。
群馬の城探訪は、上越から関東への街道(物資の輸送路)の拠点城で上杉、北条、武田(真田)の争奪戦があり、武田(真田)の支配下になる。
しかし、北条の裏切りから天下人となった秀吉の小田原攻めの起因に繋がった小規模ながら歴史的意義のある山城をご参考にお送りいたします。
10月8日 会員KOさんからの投稿 「巾着田曼珠沙華祭り2019」
会員KOさんが「巾着田曼珠沙華祭り2019」に行かれました。その時の写真を沢山送られてきました。私の独断で枚数を削除して掲載しました。
『一面の曼珠沙華』
先日(10月2日)、日本有数の曼珠沙華の群生地(埼玉県日高市)に撮影に行ってきました。例年より2週間遅れて、500万本の曼珠沙華が一面を真っ赤に染めて咲き誇っていました。そしてこの花ほど、各地で様々な呼び名がある花も珍しいとか。彼岸花、キツネのたいまつ、おいらん花、幽霊花、地獄花、墓花・・・一昨年の同時期には上皇ご夫妻もお見えになったそうです。すっとした立ち姿、鮮やかな赤い色、妖艶で妖気漂う、500万本の曼珠沙華をご堪能ください。
10月6日 世話人HAさんからの投稿
9月29・30日と北陸へお城巡りをされた写真が送られてきました。
富山県・石川県・福井県と3分割して表示致しますので、ご覧下さい。